『ノマドランド』感想・考察・評価(ネタバレあり)

今回は2021年3月26日公開の『ノマドランド』について、感想を語りながら考察したいと思います!

本記事では

  • 本作はなぜ極上の映画体験なのか?
  • ファーンはなぜ土地に縛られていたか?
  • シェイクスピアの詩を引用した理由は?

という3つに絞って考察しています。

それではまずはあらすじから振り返りましょう。

目次

あらすじ

画像出典:IMDb

ネバダ州の企業城下町エンパイアで暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーにすべてを詰め込んだ彼女は、“現代の遊牧民ノマドとして、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることになるのだった。

ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。

ファーンを演じるのは本作がアカデミー賞主演女優賞において3度目の受賞作となったフランシス・マクドーマンド。監督は『ザ・ライダー』で注目を浴び、本作『ノマドランド』で第93回アカデミー賞の監督賞においてアジア系女性として初受賞を果たしたクロエ・ジャオ。


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ということで、ここからは感想を語りながら考察していきます!


※ネタバレありですのでご注意ください

感想・考察

本作はなぜ極上の映画体験なのか?

画像出典:IMDb

あちこちで絶賛されている『ノマドランド』。「極上の映画体験」なんていう風に宣伝などで謳われていますが、まさにその通りだなと思いました。ここまで魂に訴えてくるような映画体験はそうそう出来るものではありません

具体的に何が心に響いたかというと、本作が示す「今を生きることの大切さ」です。

劇中で「砂漠の集い」主催者のボブ・ウェルズが語るように、我々は経済やお金、将来への不安といった物に縛られ、「今という感覚」をいかにおざなりにして来たかに気付かされます。

画像出典:IMDb

ファーンはノマド生活をする過程で、そんな「今という感覚」を取り戻し、今まで見過ごして来た目の前にある自然の美しさに目を開き、ひいては自分という存在を理解し、徐々に自分を縛っていたものから解放されていきます。

「今という感覚の再認識」「自己発見」「魂の解放」

本作はこのファーンの体験を、そのまま観ている観客も味わうことができるという意味で「極上の映画体験」と言えるのではないでしょうか。

また本作を観ながら、我々人間は、元々、太古の歴史から現在に至るまで、明日への不安を抱えながらも大いなる希望を持ち前に進んできた“開拓する生き物”であったことに思いを馳せ、潜在的に眠っていたものが呼び起こされるような感覚を味わいましました。

この体験はやはり劇場の大きなスクリーンでこの世界に没入できてこそ味わえるものですので、劇場で観ることの意義を強く感じます。

ファーンはなぜ土地に縛られていたか?

画像出典:IMDb

なぜファーンが姉からの同居の誘いを断り、エンパイア周辺から離れず、自分をその土地に縛り付けていたかというと、それは数年前に亡くなった夫の存在を忘れないでいるためです。

もともと身寄りがなく天涯孤独だった夫にはファーンしか家族がおらず、夫が働いた職場や住んだ街の事をファーンが忘れてしまえば夫の存在していたという証は希薄になります。

そんな夫との記憶を保つため、ファーンはキャンピングカーに思い出の品を詰め、土地に自らを縛りつけます。それは同時に他者と距離を置く生活を意味し、ファーンはデビッドの「一緒に暮らそう」という誘いを断り、自ら孤独でいようとするのでした。

そんなファーンは劇中終盤ボブ・ウェルズからある話を聞きます。

それは「ノマドは“さよなら”は言わない、“またね”というだけだ。だから俺も死んだ息子にいつか会えるし、あなたもいつか旦那さんに会えるよ」というもので、

ファーンはこの話を聞き、今まで自分は“さよなら”を先延ばしにし、夫の記憶にしがみついていただけだと気付き、またファーンは夫の存在は街や土地に宿るのではなく、ファーン自身の中にあるのだと悟ります

本作のキャンピングカーで走り去るラストシーンは、ファーンが夫に“またね“を言い、自由になれたのだと解釈しました。

画像出典:IMDb

僕のこの解釈の根拠になったのが劇中のシャイクスピアの詩の引用です。

シェイクスピアの詩を引用した理由は?

画像出典:IMDb

この詩はソネット集第18の詩で、ファーンがラブレターを書こうとする若者に、自身の結婚式のスピーチで引用した詩として伝えるシーンで登場します。

具体的にどんな詩かというと…

君を夏の1日にくらべたらどうだろう。
きみはもっと美しく、もっとおだやかだ。
五月のいとおしむ花のつぼみを荒っぽい風が揺さぶり、
夏という契約期間はあっという間に終わってしまう。
天の太陽も、ときに、灼熱の光をはなつけれど、
黄金のかんばせが雲にかくれることだって珍しくはない。
美しいものはすべて、いつかは美を失って朽ちる。
偶然や自然の変異が、美しい飾りをはぎとってしまう。
しかし、きみが不滅の詩のなかで時と合体すれば、
きみの永遠の夏はうつろうことはない。
いま手にしているその美しさを失うこともない。
死神が、奴は我が影を歩んでいる、とうそぶくこともない。
人が息をし、目が見うる限り、この詩は生きる。
そして、この詩がきみに命を与える。

引用:シェイクスピア ソネット集(岩波文庫)

というもので、要は「美しい夏の1日よりもきみは美しく、きみの美しさときみの存在はこの詩の中で永遠に生き続ける」という意味の詩です。

この詩を本作に照らし合わせると「詩=ファーン」の中で「きみ=夫」は永遠に生き続けると解釈でき、そのことに気付いたファーンは土地や過去に縛られた自分自身を解放していくのでした。

また今を生きようとする無限の可能性を秘めた若者にこの詩を伝えることで、自分もその感覚を取り戻し、「今を生きること」に目を向けはじめます。

そういった意味でこの詩の引用は本作のメッセージやテーマに関わる非常に重要なものだと思いました。

画像出典:IMDb

最後に上記考察を踏まえ僕なりの総評をしたいと思います。

まとめ/評価

ファーンのようなノマド生活者は2008年のリーマンショック後に急増し、さらにコロナの影響で今も増え続けているとのことです。

しかし本作はそう言った社会問題を描くに留まらず、とても勇気と希望を与えてくれる作品であり、また人類が元来持っている原初的な「前に進みたい」という欲求に刺さる作品でした。

アカデミー賞作品賞の歴代受賞作は、その時代の社会問題を反映した作品ばかりでしたが、そういった意味において本作が今、作品賞を受賞したのは当然のことのように思います。

またフランシス・マクドーマンドの主演女優賞受賞にも納得でした。彼女のそこにいるだけで何かを物語ってしまうような崇高な佇まいに、終始圧倒されました。

そして何より本作をここまで奥行きのある作品にしたのは他でもない監督のクロエ・ジャオの功績と言って良いでしょう。アカデミー監督賞でアジア人女性初受賞という快挙を成し遂げたことを心から祝福すると共に今後の作品にも注目です。

本作は僕にとって「今を生きることの大切さ」に気づかせてくれる忘れ難い作品となりました。

画像出典:IMDb

ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

※なおこの考察はあくまで一個人の意見ですので、その点ご容赦ください。

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